4月16日(土曜日)深夜1時25分。
まさかと思った大地震が 現実に起こった。
2日前に襲った 益城町の大地震、ここ南阿蘇も震度5弱を記録した。
でも その時は グラスが3個割れ、棚のものが落ちて散乱する程度だった。。。
それでも この阿蘇で初めて体験した大揺れの地震だった。
ペンション ティンクナは ご存知の通りに メルヘン村の丘の斜面に建っています。
大雨の時や 少しの地震が起こると 誰もが一番に「ティンクナ」を心配してくれました。
そのことは ここに住んでいる私たちも一番気にしていることでしたし、不安は多少なりともありました。
でも 数年前の阿蘇豪雨災害の時も 台風が何度も直撃しても 「ティンクナ」は微動だにすることはありませんでした。
そして 益城町を襲った大地震の時の震度5弱の大揺れさえも「ティンクナ」の建物は、見事に耐えてくれました。
敢えて斜面に建っているため、建物の基礎部分はどこよりもしっかりしているものだと確信もできて、安心できました。
ニュースで見ていた益城町の大地震の被害状況、同じ熊本に住む者としては辛い惨状でした。
知り合いもその地域に居ました。
でも こんなに大きい地震が起こった後だから、もうこれ以上の地震は無いだろうと思ったし、
ましてや少し離れた阿蘇地域は さらに問題無いと思っていました。
念のために 震度5弱の記録した日だったので、その夜は家族みんなで 玄関に近い廊下に布団を敷き寝ることにしました。
震度5弱の後、何度も余震がありました。
でも震度5弱を耐えた「ティンクナ」だから、余震の揺れは気持ち悪いものでしたが、多少の揺れは安心していられました。
次の日の夜も 念のためにと玄関に近い廊下で家族3人寝ることにしました。
もう 今夜あたりは寝室に戻って 普段通りに寝ようと家族で話し合っていたけれど、
娘のチヒナが廊下で寝ることが楽しいらしくて、結局、その夜もまた 玄関に近い廊下で寝ることにしたのでした。
この判断が 後に私たちの安全を守ってくれようとは。。。
そして運命の深夜1時25分。
いつものようにユサユサと始まった余震、布団の中で揺れと同時に目が覚め、
その揺れを感じながら「いつもの余震だったら、これぐらいで終わるはず。。。」っと思った瞬間、
建物全体が横に揺れた!その揺れ方は尋常ではなく 私の体は真横に吹き飛ばされ
とっさに柱に手をかけた瞬間に 今度は反対方向へと吹き飛ばされ、
廊下に寝ていた私は すぐ横の階段から落ちてしまった。
しかし、運よく何かの反動で階段の途中で体は正常な態勢となり、娘と妻に声をかける、二人とも無事だ、
とにかく外に出るように声をかける
すでに足元にはガラスの破片、慌てながらもガラスに気を付けてっと促し玄関に着く、
そこで娘が「玄関の床が無い!!」っと声を震わせ叫ぶ!
私も娘のその声を聞き、床を見て、瞬間的に「ティンクナの建物」は壊れてしまったっと感じた。
その瞬間だけは 地震のせいで「ティンクナだけが地震に耐えられなかった」っと思ったけれど、
外に出た途端 その考えは間違いだったと悟った。
玄関前に止めてあった車が アスファルトの波に飲まれていた。
玄関前の駐車場のアスファルトが粉々に砕け、浜に寄せる波のようにぐちゃぐちゃになっていて、その合間に車は埋まっていた。
初めて見る光景、こんな状況なんて、テレビでも見たことない、そしてこの地震は「ティンクナ」だけじゃない、
みんなを助けないと。。。すぐに 妻のヒトちゃんが「野ばらさん、だいじょうぶ〜〜〜???」っと叫ぶ、
するとそこのお爺ちゃんが「動けない!!」と叫ぶ声、あたりは真っ暗、でも私たちの手元には懐中電灯が無い、
すぐに私はティンクナの中に戻り、懐中電灯を探す、でも懐中電灯を置いていたフロントのドアが物で塞がれ開かない、
狭い窓から中に入ったものの 色んな物が散乱してて探せない、
慌てる、慌てる 慌てながら冷静に探そうと心に言い聞かせる、ようやく見つけた。
野ばらさんとその家族はみんな無事だった。メルヘン村の他のペンションさんたちも全員無事だった。
誰一人ケガもなく お互いの無事を心から喜び合った。
地震からまだ数分、でもとても長い瞬間だったように思う。
辺りが明るくなるまで、とにかくみんな車などで時を過ごした、
私と数人は メルヘン村を出て、指定避難所へと道を探ろうとするものの
完全に崩れた土砂で、メルヘン村は孤立していた。
そして 明るくなり、私たちは「ティンクナ」の様子を見た。
「ティンクナ」の横の斜面から、メルヘン村の入り口に向かう道路が すべて崩落してる。
ペンション「野ばら」さんの玄関前の階段が無くなっている。
隣の「えばーぐりーん」の玄関の野寄が落ちて、地面に大きな亀裂。
「野ばら」さんも「えばーぐりーん」さんも 崩落寸前だったことが よくわかる。
こんな大規模な土砂崩れなのに 「ティンクナ」の建物は 傾きもせず、真っすぐに建っていた。
もちろん大きな揺れで 駐車場につながる玄関は床が落ちて、建物内の物という物は倒れ、崩れ、何もかも散乱しているけれど
建物全体は 迫る土砂を堰き止めるように 凛として真っすぐに建っていました。
建物の基礎部分のコンクリートの柱は ヒビ1つ入らず垂直に立っていて、本当に凄かった。
もしも「ティンクナ」の建物が無かったら、もしくは 基礎が弱い建物だったら、
壊れた駐車場と共に 最初の揺れで土砂と一緒に崩れていたかもしれません、
そしてそうなっていたら ティンクナの向かいにある「ペンション野ばら」も「えばーぐりーん」も
最初の土砂に引き込まれるように崩れていただろうと思います。
私たち家族を 大地震と土砂崩れから守ってくれた「ティンクナ」の建物、
そしてメルヘン村の他の家族を守ってくれた「ティンクナ」の建物、その姿が何よりも胸を打ち感激しました。
みんなから 「こんな斜面に建っていて大丈夫!?」と心配されていた「ティンクナ」は
一番安心できる建物だったと証明してくれました。とても誇らしいペンションです。
地震から そろそろ2週間が経ちます。
今もなお 崩れかけている土砂を堰き止め、けなげに「ティンクナ」は建っています。
でも 日増しに 後ろからの土砂に押され、だんだんと基礎は傾き、もう建物内に入るのは危険な状態になっています。
これから大きな余震、あるいは雨が土砂に浸み込み始めたら もう時間の問題で崩落するかもしれません。
地震後、毎日 私たち家族は避難所から「ティンクナ」の様子を見に行っています。
いつ崩落するかわからない状態で、建物内に入って 家の中のものを取りにも行けないし片づけられなくて、
どうすることもできないけれど、ただ近くで 今も必死に土砂を止めている凛とした姿を最後まで見届けてあげたいという気持ちです。
いずれは 「ティンクナ」の建物は撤去しなければなりません、でないと後ろに迫る土砂で二次災害が起こる可能性があります。
結果的にメルヘン村の大半が崩落してしまうことになるので、今後この場所でメルヘン村そのものが再開できるかも
今は未定のままです。行政が今後どのように判断するかにかかっています。
地震直後は 正直、ペンションの再建は諦めました。この場所での再建は現実的に無理かもしれません。
でも この凛として建つ「ティンクナ」を見てると ただただ「諦めたくない」気持ちでいっぱいになります。
今もなお、亀裂がどんどん広がり、柱は徐々に傾きながらも 凛として建つ「ティンクナ」は、
先が見えない私たち家族に勇気を与えてくれています。
震災後、毎日のように「ティンクナ」の様子を見に行っています。
もう手の施しようもなく中には入れないけど、そばに居るだけで落ち着きます。
まるで。。。現在 入院している私の母を見舞う感じに良く似ています。
今後は まだ私たち自身、どうしてゆくかはわからない状態です。
でも わずかな再建への希望があれば、夢はまた続くのかもしれません。
これまで、「ティンクナ」をご利用して頂きました皆様へ。
心より感謝いたします。
この震災における、心癒す温かい励ましもたくさん頂き、重ねて感謝いたします。
ティンクナでしか見れない景色、夕焼け、夜景、星空。。。
これからも 皆様の心に残ってくれることを 願っています。
私たち家族も皆様と過ごした 楽しかった日々を 決して忘れません。
10年目を目前にしていた「ティンクナ」での日々、ただただ楽しかった思い出ばかりです。
ありがとうございました。
ティンクナ・ぱぱ&ヒトちゃん&ちいちゃん