累計      本日      昨日
熊本県知事へ。。。

熊本県知事宛にも要望書を出してきました。
さすがに知事に直接は無理なので、観光課を窓口に提出出来ました。
て、次なる行動は。。。
と思った矢先に腰を痛めてしまいました。
週末は安静にするしかないようです。。。

カテゴリ:ティンクナ パパ日記 | 20:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「メルヘン村に直接届く義援金」の口座を作りました。
様々な方からのご支援が届いています。本当にありがとうございます。
応援の声をいただく度に、現実に立ち向かう勇気が湧いてきます。

この度、団体名義の口座を作りましたのでお知らせ致します。

今後は以下の口座にお振り込みいただけると幸いです。

<銀行からのお振込>
ゆうちょ銀行 普通
店名七一八 (店番 718)
普通預金
口座番号 3212153
口座名 メルヘン村に直接届く義援金

〈郵便局からのお振り込み〉
記号 17120
番号 32121531
口座名 メルヘン村に直接届く義援金


よろしくお願い致します。

Facebook内 コミュニティサイト
「平成28年熊本地震-メルヘン村に直接届く義援金」
カテゴリ:阿蘇 観光日記 | 21:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
義援金額の報告。

皆様方へ。
多くの励ましと温かいメッセージ、心より感謝いたします。

そしてそれに加え、多くの義援金も寄せられ、
私どもも「ペンション冥利に尽きる」と感激しております。

...

その思いが日に日に強くなる分、「もう一度。。。」と
熱き思いが込み上げてきます。

まだ、なにも始まっていない状況ですが、
皆様の思いは しっかりと伝わっております。
そのことを胸に刻み、これからも 私ども頑張ります。

5月31日現在 義援金額 1,265,260円

カテゴリ:ティンクナ パパ日記 | 21:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
復興への扉。

メルヘン村の復興へ。。。
ようやく今、扉に手をかけたところです。

本日、南阿蘇村長へ「要望書」を提出してきました。

明日は、熊本県庁へ行ってきます。。。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

現在の状況をお伝えします。
阿蘇を襲った地震から おおよそ45日が経過しました。
メルヘン村のその後の状況は変わらず、ティンクナを含む他のペンションも 
あの時のままの惨状。

行政の手も入らず、未だに地権者への行政からのコンタクトは無し。
メルヘン村周辺に目を向けると メルヘン村のすぐ下に県道が通っているのですが、
それが危険な状態のため、バイパスが数日前に開通。
南阿蘇全体を見ても まだ道路整備のみが行われてるに留まる。
そのため、南阿蘇村への要望書に加え、熊本県への要望書を作成しました。

先日 南阿蘇村でも「罹災証明」が発行され、それに伴って、
住居などの解体などが進むと思われます。

メルヘン村を含めた土砂崩れのひどい地域は まだどのように整地、整備するのかが、
国や県での話し合いが続いているため まだ村としては 全体を把握してないような感じです。

ちなみに「ティンクナ」は 罹災証明で『全壊』と判定されました





カテゴリ:ティンクナ パパ日記 | 21:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
地震直後。。。


カテゴリ:ティンクナ パパ日記 | 05:27 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
平成28年熊本地震「メルヘン村に直接届く義援金」
南阿蘇メルヘン村は6軒のペンションの村。地震で建物が倒壊。住人は家と職業を失いました。
本基金はメルヘン村ペンションへの皆様の支援を募るものです。
  • 所有者情報
    メルヘン村ペンション一同
    (ペンション ティンクナ、オーベルジュ 森のこびと、ペンション 野ばら、ペンション ダイアリー、ペンション クララ、ペンション えばーぐりーん)
  • 詳細
    南阿蘇のメルヘン村は6軒のペンションが集うペンション村です。熊本地震により、メルヘン村は甚大な被害を受け、ペンション経営者は家と職業を同時に失い、大きな負債だけが手元に残りました。

    本基金はそんなメルヘン村ペンションへの皆様の支援を募るものです。...
    集まった義援金は、全額、メルヘン村のペンション6軒に届けます。

    義援金振込...先口座は以下の通りです。

    郵便局からの振込の場合と、銀行からの振込の場合で、口座番号が一桁変わりますのでご注意ください。

    <郵便局からのお振込>
    ゆうちょ銀行
    記号: 19040
    番号: 32786891
    モリオ ヒロアキ

    <他銀行からのお振込>
    ゆうちょ銀行
    支店名: 九〇八
    店番:908
    預金種目:普通預金
    口座番号:3278689
    モリオ ヒロアキ

    皆様のご支援をよろしくお願いします。
    メルヘン村代表:ティンクナ 森尾寛昭より

    Facebook内 コミュニティサイト
    「平成28年熊本地震-メルヘン村に直接届く義援金」
カテゴリ:阿蘇 観光日記 | 05:36 | comments(7) | trackbacks(0) | - | - |
震災直後に書き綴った 娘(12歳)の日記。。。
4月16日「熊本大震災」
〜1日目〜
午前1時25分南阿蘇村を震源地としたマグニチュード7.3(震度6強)の地震があった。
地震は1分間続いたそうだ。
一昨日の(4月14日)の震度5弱の地震から夜寝る時は廊下で寝ていた。
前日も防災道具を持って、廊下で寝ていた。
私が起きたのはお母さんとお父さんの悲鳴や、叫び声で起きた。
私は毛布を頭まで被って、叫んだ。ガッガガガバリバリゴゴゴゴゴゴ。シャンデリアのぶつかる音、棚からものが飛び出してくる音、ガラスが砕け散っていく音、今思い出しても鮮明に記憶に残っている。
地震が弱まって、外に3人で出ようとガラスの砕け散った階段を登り、玄関に出しておいた靴を探そうとした。床が抜けていた。スリッパを急いで履いて、外に出た。外は真っ暗だった。
そこで見た光景に息を飲んだ。
地面が割れて流氷の上に立っているかのようだった。真っ暗で何もわからなかった。私はお母さんからもらった毛布を羽織り、車の鍵を強く握り締めて車の横に立っていた。お父さんとお母さんが家の中に入って、リュックなどを取りに行ってる間、とても怖かった。一人でいる間、余震が何度も来てしゃがみこんだ。何も聞こえてこなかった。
「どうかこれが夢であってほしい。夢だったら早く覚めてよ。神様何とかしてよ…」
お母さんが帰ってきて、野ばらに「大丈夫ですか?大丈夫ですか?」と呼びかけていた。
野ばらのおじいちゃんが「助けて。出られん。」と叫んでいた。もう頭がパニックになった。
お母さんが急いでリュックの中から懐中電灯を探していた。
誰かが死んでいるのかもしれない。もうこの世でひとりぼっちのような気がした。
顔はわからなかったけど誰か大人がやってきて、おじいちゃんとおばあちゃんを助け出した。
お父さんについて行って、野ばらの駐車場へ移動した。ひなのとしゅんの悲鳴などが聞こえてきたから内心ホッとした。それから駐車場に栗原家・梶原家・森尾家が集まった。ひなのの顔を見て、ものすごく嬉しかった。ひなのも同じく私の顔を見て、泣きながら抱きついてきた。後から聞いた話だが、ひなのとあやのさんは崩れかけた家から這い出てきたそうだ。
周りを見てみたら、なんだか周りが白く曇っていた。匂いを嗅いでみたら、ガスの匂いだった。えばーグリーンから漏れていたそうだ。ひなののお父さんがエンジンをかけずに車をバックさせた。その中に栗原家を乗せた。ひなのと私は一緒に毛布をかぶった。30分ぐらい過ぎた頃、ダイアリーのおばさんとおじさんが「皆さん大丈夫ですか?上にみんな集まりましょう。その方が安全です。」と言いに来た。ひなのとくっつきながら上の広場へ移動した。ひなのとしゅんと祐子さんと、初水ちゃんの車に乗せてもらった。あったかかった。だいごさんが非常食のケーキを持ってきてくれた。美味しかった。車のナビのニュースを見てみると南阿蘇村が震度6強なのを知った。ひなのが寝てから、田口さんのキャンプカーに乗せてもらった。広かった。でも全然眠れなかった。「朝が来たら家を見に行ってみよう。」と思った。

夜が明けて、ひなの達の車に行ってみたがいなかった。お父さんとお母さんと家を見に行った。ビックリした。コンクリートが割れるどころか粉々になって、ティンクナの隣の斜面は崩れ落ちて崖になって、台車の車は割れたコンクリートに埋まっていた。野ばらは露天風呂から泊まるところも崩れ落ちて、二段ベッドが外に出ていた。おじいちゃんとおばあちゃんの家は、壁が崩れてもう崩壊しそうだった。梶原家はテラスが崩れて、壁が落ちて、子供部屋をみたらもう、ぐっちゃぐっちゃだった。野ばらの前の道路は無くなっていた。えばーグリーンは玄関らへんが崩壊。宙に浮いていた。ダイアリーは電柱が倒れて真っ二つに割れていた。小林家は家の中の床が割れていた。新クララの田口家は作りたてのテラスが傾いて、椅子などが散乱していた。ウグイスは崖が崩れて、もう後少しで崩れ落ちる寸前だった。上から下の道路がはっきりと見える状況だった。森のこびとは家の中がぐちゃぐちゃだったけど、メルヘン村の中で一番安全な場所だった。一度家に戻って、家の中の物を取り出す作業に取りかかった。といっても、私は家の中に危ないから入れてもらいなかった…それから上の広場に行ってみると、みんな有り余った食材を使ってBBQをしていた。あまり食欲がわかなかった。それから、今夜は森のこびとに泊まるかもしれないので、家の中をあやのさんと共に片ずけをした。テレビ局が来た。空にはヘリコプターが沢山飛んでいた。次々と通り過ぎてしまうので、ひなのが「テレビ局のバカー」と大声で言っていた。テレビ局のどまん前で…
午後になった。1台目の救助ヘリが着陸した。初めて目の前で見た。救助ヘリが入ってしまって、しゅんとひなのとサッカーをした。大人たちは、避難所へ行くかどうかを話し合っていた。5時過ぎぐらいに梶原家と栗原家が避難所へ向かった。私たちは夜ごはんをメルヘン村で食べて、避難所へ行く予定だった。BBQをして、避難所へ向かった。野ばらの前の道路は通れなかったので、裏の道を通った。台車だったから通れたらしい。避難所には、松田一家、前田一家、栗原一家、梶原一家、小林一家、宮田一家、などがいた。あきの家は一階が潰れて二階から脱出したらしい。寝た。

4月17日「熊本大震災」
〜2日目〜
昨日はよく眠れた。
朝ごはん・・・非常食
昼ごはん・・・BBQ
夜ごはん・・・おにぎり。お茶
昨日の夜から朝にかけて、少し雨が降った。お父さんとお母さんは「この雨で地盤が緩んで、家が崩れるかもね…」と言っていた。非常食があったから、食べ物には困らなかった。なぎん家に軽トラを貸してもらって、荷物を運んだ。お昼頃にメルヘン村に戻った。家はまだ崩壊していなかった。子供では、勝利しか来ていなかった。お昼ごはんを食べて、勝利と自転車やキャッチボールで遊んだ。自衛隊が下の道路を整理し始めた。

4月18日「熊本大震災」
〜3日目〜
朝ごはん・・・おにぎり等
昼ごはん・・・BBQ
夜ごはん・・・なぎん家でBBQ
朝起きてラジオ体操をした。ずっと座ったまんまだと、血が固まって息が苦しくなってしまうからだそうだ。朝ごはんを食べてから、体育館の裏でききょうとゆうとのDSで遊んだ。ききょうによると、メルヘン村の下の道路は自衛隊が整理して通れるようになったそうだ。体育館には中学校の先生が来ていて、生徒の安否確認をしていた。私も会ったこの名前を先生に伝えた。その後、お父さんとお母さんと家に向かった。今日は佐藤さんが来て野ばらのかたずけの手伝いをする予定だった。今日も家は崩れていなかった。子供は誰も来ていなかったから、猫と遊んだ。夕方、下の道路からメルヘン村を見てみようと思い行ってみたら、ハーモニーに会った。とても心配していたらしく、大津方面から、おにぎり20個ほど、水2リットルをくれた。美味しかった。その後、高森のそよかぜパークの温泉の入った、久しぶりだったから気持ちよかった。帰りにアイスでも食べようと思い、近くのコンビニへ寄った時、栗原家から連絡が入った。「近くのダムが崩壊する恐れがあるから南西小に避難した方がいいんじゃないか?」という連絡だった。

4月19日「熊本大震災」
〜4日目〜
朝起きてラジオ体操をした。
朝ごはん・・・紙コップに入っているカレー、味噌汁。おにぎり2個入り3パック。
昼ごはん・・・おにぎり1人1つ紙コップに入っているうどん。
夜ごはん・・・お弁当。ゆで卵。味噌汁。
お父さんが「役場に行けばニュースが見れるよ。」と言ったので、7時55分に長陽役場に行った。昨日の夜、なぎん家での地震は震度5強だったらしい。そんなに大きかったかな。朝ドラが始まって、面白くなかったから体育館に帰った。今日は家に行かないで、避難所にいる予定だ。なぎが来てからその後、なぎ、ゆうと、ちなつ、ちひな、あかりさんと一緒に荷物を運ぶボランティアをした。その後、道場で素振りをして、お昼ごはんを食べた。それから1時から2時まで、なぎに勉強を見てもらった。勉強が終わるとまなみさんが来て、「ここで病人が出たから、家に帰りなさい。ちひなもなぎについていき。」と言われたから、なぎのおばあちゃん家へ移動して遊んだ。なぎのおばあちゃん家はトイレや流しの水が出ていた。高森の方は電波が通じるらしい。夜になると、トイレや蛇口の水が出るようになった。
たかとが、らいむちゃんと何処かへ行ってしまったので、みんなで大捜索になってしまった。
余震が来るたんびに、4月16日のことを思い出す。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
次の日から 娘はパッタリと書くの止めました。
同時にそれ以来、震災前のペンションでのことを話さなくなったように感じます。
きっと彼女なりに、前だけを向いて歩き出そうと悟ったのかもしれません。
今日は娘の誕生日です。
ケーキも無ければ、プレゼントも無しです。
でも、家族3人で過ごせる1日ほど幸せなことはないと感じています。

カテゴリ:ティンクナ パパ日記 | 05:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
テレビ取材。

メルヘン村にテレビの取材が来てくれました。
みなさまの多くのシェアのおかげです。
ありがとうございました。

4日(水)テレビ朝日「スーパーJチャンネル」...
16:50〜19:00
放送される時間はおおよそ3分程度。
開始時間はわからないので、ごめんなさい。

私には、録画することは出来ませんし、
テレビも避難所には無いので見れません。
良かったら見てください。





カテゴリ:阿蘇 観光日記 | 21:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
凛とした姿。。。救われた命。
4月16日(土曜日)深夜1時25分。
まさかと思った大地震が 現実に起こった。

2日前に襲った 益城町の大地震、ここ南阿蘇も震度5弱を記録した。
でも その時は グラスが3個割れ、棚のものが落ちて散乱する程度だった。。。
それでも この阿蘇で初めて体験した大揺れの地震だった。

ペンション ティンクナは ご存知の通りに メルヘン村の丘の斜面に建っています。
大雨の時や 少しの地震が起こると 誰もが一番に「ティンクナ」を心配してくれました。
そのことは ここに住んでいる私たちも一番気にしていることでしたし、不安は多少なりともありました。

でも 数年前の阿蘇豪雨災害の時も 台風が何度も直撃しても 「ティンクナ」は微動だにすることはありませんでした。
そして 益城町を襲った大地震の時の震度5弱の大揺れさえも「ティンクナ」の建物は、見事に耐えてくれました。
敢えて斜面に建っているため、建物の基礎部分はどこよりもしっかりしているものだと確信もできて、安心できました。

ニュースで見ていた益城町の大地震の被害状況、同じ熊本に住む者としては辛い惨状でした。
知り合いもその地域に居ました。

でも こんなに大きい地震が起こった後だから、もうこれ以上の地震は無いだろうと思ったし、
ましてや少し離れた阿蘇地域は さらに問題無いと思っていました。

念のために 震度5弱の記録した日だったので、その夜は家族みんなで 玄関に近い廊下に布団を敷き寝ることにしました。
震度5弱の後、何度も余震がありました。
でも震度5弱を耐えた「ティンクナ」だから、余震の揺れは気持ち悪いものでしたが、多少の揺れは安心していられました。

次の日の夜も 念のためにと玄関に近い廊下で家族3人寝ることにしました。
もう 今夜あたりは寝室に戻って 普段通りに寝ようと家族で話し合っていたけれど、
娘のチヒナが廊下で寝ることが楽しいらしくて、結局、その夜もまた 玄関に近い廊下で寝ることにしたのでした。

この判断が 後に私たちの安全を守ってくれようとは。。。

そして運命の深夜1時25分。
いつものようにユサユサと始まった余震、布団の中で揺れと同時に目が覚め、
その揺れを感じながら「いつもの余震だったら、これぐらいで終わるはず。。。」っと思った瞬間、
建物全体が横に揺れた!その揺れ方は尋常ではなく 私の体は真横に吹き飛ばされ
とっさに柱に手をかけた瞬間に 今度は反対方向へと吹き飛ばされ、
廊下に寝ていた私は すぐ横の階段から落ちてしまった。
しかし、運よく何かの反動で階段の途中で体は正常な態勢となり、娘と妻に声をかける、二人とも無事だ、

とにかく外に出るように声をかける
すでに足元にはガラスの破片、慌てながらもガラスに気を付けてっと促し玄関に着く、
そこで娘が「玄関の床が無い!!」っと声を震わせ叫ぶ!
私も娘のその声を聞き、床を見て、瞬間的に「ティンクナの建物」は壊れてしまったっと感じた。
その瞬間だけは 地震のせいで「ティンクナだけが地震に耐えられなかった」っと思ったけれど、
外に出た途端 その考えは間違いだったと悟った。

玄関前に止めてあった車が アスファルトの波に飲まれていた。
玄関前の駐車場のアスファルトが粉々に砕け、浜に寄せる波のようにぐちゃぐちゃになっていて、その合間に車は埋まっていた。

初めて見る光景、こんな状況なんて、テレビでも見たことない、そしてこの地震は「ティンクナ」だけじゃない、
みんなを助けないと。。。すぐに 妻のヒトちゃんが「野ばらさん、だいじょうぶ〜〜〜???」っと叫ぶ、
するとそこのお爺ちゃんが「動けない!!」と叫ぶ声、あたりは真っ暗、でも私たちの手元には懐中電灯が無い、
すぐに私はティンクナの中に戻り、懐中電灯を探す、でも懐中電灯を置いていたフロントのドアが物で塞がれ開かない、
狭い窓から中に入ったものの 色んな物が散乱してて探せない、
慌てる、慌てる 慌てながら冷静に探そうと心に言い聞かせる、ようやく見つけた。

野ばらさんとその家族はみんな無事だった。メルヘン村の他のペンションさんたちも全員無事だった。
誰一人ケガもなく お互いの無事を心から喜び合った。

地震からまだ数分、でもとても長い瞬間だったように思う。
辺りが明るくなるまで、とにかくみんな車などで時を過ごした、
私と数人は メルヘン村を出て、指定避難所へと道を探ろうとするものの
完全に崩れた土砂で、メルヘン村は孤立していた。

そして 明るくなり、私たちは「ティンクナ」の様子を見た。

「ティンクナ」の横の斜面から、メルヘン村の入り口に向かう道路が すべて崩落してる。
ペンション「野ばら」さんの玄関前の階段が無くなっている。
隣の「えばーぐりーん」の玄関の野寄が落ちて、地面に大きな亀裂。
「野ばら」さんも「えばーぐりーん」さんも 崩落寸前だったことが よくわかる。

こんな大規模な土砂崩れなのに 「ティンクナ」の建物は 傾きもせず、真っすぐに建っていた。
もちろん大きな揺れで 駐車場につながる玄関は床が落ちて、建物内の物という物は倒れ、崩れ、何もかも散乱しているけれど
建物全体は 迫る土砂を堰き止めるように 凛として真っすぐに建っていました。
建物の基礎部分のコンクリートの柱は ヒビ1つ入らず垂直に立っていて、本当に凄かった。

もしも「ティンクナ」の建物が無かったら、もしくは 基礎が弱い建物だったら、
壊れた駐車場と共に 最初の揺れで土砂と一緒に崩れていたかもしれません、
そしてそうなっていたら ティンクナの向かいにある「ペンション野ばら」も「えばーぐりーん」も
最初の土砂に引き込まれるように崩れていただろうと思います。

私たち家族を 大地震と土砂崩れから守ってくれた「ティンクナ」の建物、
そしてメルヘン村の他の家族を守ってくれた「ティンクナ」の建物、その姿が何よりも胸を打ち感激しました。

みんなから 「こんな斜面に建っていて大丈夫!?」と心配されていた「ティンクナ」は
一番安心できる建物だったと証明してくれました。とても誇らしいペンションです。

地震から そろそろ2週間が経ちます。
今もなお 崩れかけている土砂を堰き止め、けなげに「ティンクナ」は建っています。
でも 日増しに 後ろからの土砂に押され、だんだんと基礎は傾き、もう建物内に入るのは危険な状態になっています。

これから大きな余震、あるいは雨が土砂に浸み込み始めたら もう時間の問題で崩落するかもしれません。

地震後、毎日 私たち家族は避難所から「ティンクナ」の様子を見に行っています。
いつ崩落するかわからない状態で、建物内に入って 家の中のものを取りにも行けないし片づけられなくて、
どうすることもできないけれど、ただ近くで 今も必死に土砂を止めている凛とした姿を最後まで見届けてあげたいという気持ちです。

いずれは 「ティンクナ」の建物は撤去しなければなりません、でないと後ろに迫る土砂で二次災害が起こる可能性があります。
結果的にメルヘン村の大半が崩落してしまうことになるので、今後この場所でメルヘン村そのものが再開できるかも
今は未定のままです。行政が今後どのように判断するかにかかっています。

地震直後は 正直、ペンションの再建は諦めました。この場所での再建は現実的に無理かもしれません。
でも この凛として建つ「ティンクナ」を見てると ただただ「諦めたくない」気持ちでいっぱいになります。

今もなお、亀裂がどんどん広がり、柱は徐々に傾きながらも 凛として建つ「ティンクナ」は、
先が見えない私たち家族に勇気を与えてくれています。

震災後、毎日のように「ティンクナ」の様子を見に行っています。

もう手の施しようもなく中には入れないけど、そばに居るだけで落ち着きます。
まるで。。。現在 入院している私の母を見舞う感じに良く似ています。

今後は まだ私たち自身、どうしてゆくかはわからない状態です。
でも わずかな再建への希望があれば、夢はまた続くのかもしれません。

これまで、「ティンクナ」をご利用して頂きました皆様へ。
心より感謝いたします。
この震災における、心癒す温かい励ましもたくさん頂き、重ねて感謝いたします。

ティンクナでしか見れない景色、夕焼け、夜景、星空。。。
これからも 皆様の心に残ってくれることを 願っています。

私たち家族も皆様と過ごした 楽しかった日々を 決して忘れません。
10年目を目前にしていた「ティンクナ」での日々、ただただ楽しかった思い出ばかりです。

ありがとうございました。

ティンクナ・ぱぱ&ヒトちゃん&ちいちゃん

カテゴリ:阿蘇 観光日記 | 12:23 | comments(15) | trackbacks(0) | - | - |
家族3人、みな無事です。ですが、ペンションは被災しました。
4月16日(土曜日)深夜1時40分。
南阿蘇村を襲った大地震で、ここメルヘン村の丘の斜面が大規模に崩落してしまいました。
「ティンクナ」はその土砂崩落に耐え、私たち家族を守ってくれましたが、今も少しづつ土砂に押され、
建物にも近寄れない状況に置かれています。

今後のペンションの再開や目途は まったく立っておらず、このメルヘン村の丘も今後どうなるのかもわかりません。
今はこのようなご報告しかできないことが とても辛いです。

私たち家族は、震災直後から南阿蘇中学校体育館の避難所に身を寄せております。
私を含め、家族3人みなケガも無く、元気にしておりますのご安心ください。

多くの皆さまに、ご心配をおかけしながら これまで報告と連絡が出来なかったこと、すみませんでした。
みなさんの温かい励まし、心に届いています。本当にありがとうございます。











カテゴリ:阿蘇 観光日記 | 06:42 | comments(7) | trackbacks(0) | - | - |
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